日本には本当に英語教育が必要か?
日本についてのトピックを外国人向けに伝えているユーチューブチャンネル「The Japan Reporter」が投稿したこちらの動画では、日本の英語教育の必要性について「必要」派と「不要」派の意見を紹介。視聴者たちからは、動画内の極論に対して、どちらかと言えば中立的な意見が多数届いている様子。
出典:https://youtu.be/aMAuPqSlJQo
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- <動画内「不要派」の主な意見>
- 日本では英語をほとんど使わない
- やる気のない生徒に教えても効果は上がらない
- 英語学習に時間を割くと日本語力が低下する
- 日本人は英語のメディアなどから情報を仕入れる必要があまりない
- <動画内「必要派」の意見>
- 英語を使うことで海外の失敗や成功から学べる
- アジアのほかの国のように教育方法を変えれば日本でも効果が上がる
- 最初は嫌々でも英語を学ぶことで、のちの人生が豊かになるかもしれない
- 海外メディアが「日本人は英語が読めない」ことを理由に日本についてデマを流すのを抑止できる
海外の反応
・名無しさん@海外の反応
日本で英語教師だったけど、問題は英語学習を楽しくせずに試験合格のためだけの教え方をしていて、実際の世界で使うための英語を教えていないことだ。
・名無しさん@海外の反応
貿易の必要性と例えばコンピュータープログラミングのような特定分野での英語の普及を考えると、暮らす場所にかかわらず身につけると便利な能力だ。
・名無しさん@海外の反応
日本でALTだったけど高校から英語を選択制にするかほかの言語を選択できるようにしてもいいのではないかと思うこともあった。他言語を学ぶのは重要だけど英語だけじゃなくてもいいと思う
・名無しさん@海外の反応
語学は重要だと思う。貿易、数学、科学、社会的交流に重要だ。
・名無しさん@海外の反応
日本には何度も行ったことがあるけどいつも英語の話せる日本人がありがたいと感じる。
・名無しさん@海外の反応
世界中の教育システムで教えられていることで教室内や特定の職場でしか使われないものはたくさんある。正しいかはわからないけど英語は世界に普及している言語で英語が使えないと世界における自由な機会が制限される。日本に行って話しかけた99%の日本人がコミュニケーションをとる中で英語を学びたがっていた。
・名無しさん@海外の反応
英語は特にビジネス分野で必要だというのは同感だけど、みんなが英語を話すと外国人が日本に行くために日本語を学ぶモチベーションが無くなる気がする。このままがいいと思うし、自国で暮らしてるときのようにすぐ英語で話し始めるのではなく基本的な日本語を話す努力をするのは敬意の側面もある。
・名無しさん@海外の反応
中学校と高校の時に4言語の中から1つを選択する制度があった。選択肢はドイツ語、フランス語、スペイン語、ラテン語だった。さらに毎年英語を学ばないといけないのは変だと思ってた。
・名無しさん@海外の反応
最高に笑えるのは、公文式英語って日本人が英語を教えるために発明したんだよね!世界中でかなりよく使われてるよ。このフィリピンでうちの子たちは公文を使ってるけど最高だよ。
・名無しさん@海外の反応
言語にかかわらず教えるかどうかじゃなくて指導法や学習法を変える必要があると思う。個人的には「理解可能なインプット」方式を使った学習は、教科書より役立つと思う。読んだり聞いたりして自然に理解できる語彙が増えることで話したり書いたりして伝えたいことを伝えるのがおかげでちょっと簡単になる。
・名無しさん@海外の反応
新婚旅行で日本から帰ってきたばかりだけど非常に気になったのは、(少なくとも少しは)英語が話せるだろうと思った相手が、実際には話せないことが多いという事実だ。例えば、関西国際空港の警備スタッフやホテルの従業員。
・名無しさん@海外の反応
日本でさまざまなレベルの英語を教えた。日本が責任のある倫理的な役割を果たすのを助けたいという立場として、国際社会の一員となって英語の独占的な状況から離れるのはいいことだと思う。政府の国際観光推進(依存)政策とも合致する。
・名無しさん@海外の反応
英語じゃなくてもいいけど、第二言語の学習はどこでもできるだけ義務化した方がいいと思う。問題は義務教育の外国語の授業ではなく、教え方やその他未解決の教育制度の問題だ。
・名無しさん@海外の反応
個人的な意見。英語は国際言語で、学校で教えるのは間違いじゃない。もしかしたら、いつか、あるいは、例えば30ぐらいになって、突然英語を話したいと思うかもしれない。そして学校で基礎を学んでおけば、完全にゼロから始めるほどにはひどくならない。
・名無しさん@海外の反応
ポーランドでは外国語は強制だけど言語を選べる。複数言語を知るとほかの文化に寛容になれるからいいと思う。ほかの国の人と話てこの「世界という村」の一員になるのは人種差別やほかの民族や国に対してい抱いてしまうかもしれない偏見と闘う最高の手段だ。