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海外「日本が第二次大戦中、ドイツのソ連奇襲作戦に参加しなかった理由とは…」

投稿日:2021/05/25 更新日:

 


 

バルバロッサ:日本が参加しなかった理由

こちらの動画では、第二次世界大戦中の1941年にドイツ軍がソ連を奇襲した作戦(バルバロッサ作戦)にドイツの同盟国であった日本が参加しなかった理由が解説されている。動画に対しては、戦時中の歴史に興味のある海外の視聴者たちから、理由に関する推測などの様々なコメントが届いている。

出典:https://youtu.be/27G3rNYu8S4

(動画の要約)

  • なぜ日本軍がバルバロッサ作戦に参加しなかったかを説明するには、日本側とドイツ側の状況を見ないといけない。日本とドイツの大戦中の関係はどちらかと言えば冷めており、日本がノモンハンでソ連と戦っていた1939年にドイツがソ連と不可侵条約を結んだことにもその関係性が表れている。
  • まずはドイツ側の理由から見てみよう。単刀直入に言えば、ヒトラーが日本に参加してほしくなかったのが理由だ。作戦の計画を記した文書にも、ルーマニアやフィンランド、スウェーデンの名前は出てくるが日本は出てこない。
  • もう1つ、ヒトラーによる日本との連携のための命令を記した1941年の文書には、「三国同盟の狙いは日本にできるだけ早く極東で行動を起こさせ、米国や英国の注意を極東に向けさせることで、早ければ早いほど日本の成功の可能性が高まる。バルバロッサ作戦はこれに対して政治的に有利に働く」という内容が記されている。
  • そして同じ文書の5番目の項目には、バルバロッサ作戦に関して日本に情報を知らせないことという命令が書かれている。
  • 第二次大戦中の枢軸国とソ連の関係は特別で、日独伊三国同盟では条約の内容が三国の現在のソ連との関係に影響してはならないと定められている。これは条約が39年の独ソ不可侵条約に反しないようにするのと、米国の戦争参加を抑止するのが目的だというのを明らかにするのが理由だった。
  • 1941年に日本の当時の外務大臣がソ連とも4か国同盟を結ぶ計画を発表したことがあったが、その時にはすでにドイツとソ連の関係は悪くなっており、実現しなかった。
  • ドイツ側に話を戻すと、ドイツは日本にシンガポールを侵攻して、対米国で有利となるためゴムなどの資源を獲得してもらいたいと考えていた。
  • また、ヒトラーはソ連がもっと早く崩壊すると思っていたというのも重要な要因だ。実際にバルバロッサ作戦が始まってからヒトラーは日本軍に参加を呼び掛けたことが何度かあったが、その態度には一貫性がなかった。
  • 日本側を見てみると、戦争直前の日本では、陸軍がドイツに接近しようとしているのに海軍が反対するなど、意見がバラバラだった。39年のノモンハンの戦いでは最高の戦略を練ったにもかかわらず日本は大きな犠牲を出してしまった。さらに同時にドイツとロシアの間で結ばれた不可侵条約は、日本側にとってはドイツの裏切りだと映った。
  • こうした要因から、日本は北(ソ連)から南(太平洋)への進軍に方向転換することになった。1940年にも日本軍はソ連軍との戦いを検討していたが、軍の規模を考えると難しかった。また、太平洋側のオランダ領東インドを侵攻した方が資源が効率的に手に入り、敵対中の中国の資源獲得を阻止できるという理由で南方に進んだ方がメリットがあった。
  • そして、日本が太平洋を攻めるには、北との関係を安定させる必要があったため、1941年4月には日本とソ連の間で不可侵条約が結ばれた。
  • また、日本の意思決定が限られていたというのも理由だ。ヒトラーはバルバロッサ作戦について前述のとおり日本に伝えないように指示していたが、実際はドイツとソ連の戦争の可能性について少し日本に情報は入ってきていた。しかし、当時の日本の決定権を持つ立場の人は情報を軽視し、適切な行動がとれなかった。
  • バルバロッサ作戦が始まってからは、日本は様子見をして、ソ連が崩れ始めたときに参加しようという態度をとった。
  • 日本ではソ連の東側の一部を狙った「関東軍特殊作戦」という作戦が天皇の承認を受けたが、これにも膨大な兵力や物資が必要だった。また、当時フランス領インドシナを占領した日本は、アメリカから経済制裁を受けてしまった。さらに東南アジアの方が魅力があったのとドイツがソ連に41年中に勝てる見込みがないことから、ソ連侵攻の計画は取りやめになった。
  • つまりまとめると、日本が作戦に参加しなかったのは、ノモンハンでの大敗、ドイツのロシアとの不可侵条約を裏切りととらえたこと、日独どちらも太平洋への進軍を狙っていたこと、ヒトラーが日本には作戦に参加せずに英米を抑止して欲しがっていたことが重なったからである。

海外の反応

名無しさん@海外の反応

正直言って、このサムネの絵は傑作だ。

名無しさん@海外の反応

連合国側と比べて、枢軸国側ってみんな強制的に協力させられてるけど誰も正しく物事を行うためにお互いを信用してない人たちの集まりって印象が常にある。

名無しさん@海外の反応

興味深いトピックに関する素晴らしい動画だった。ノモンハンと、その戦いが意味するところの解説がよかった。日本の1930年から1941年における意思決定プロセスを見ていく中で、このことを省いてしまう人が多い。

名無しさん@海外の反応

日本は石油が欲しくて、それは逆方向にあったんだ…ああ、まだ誰もシベリアの石油は見つけてなかったんだね。

名無しさん@海外の反応

これは本当に良かった。

名無しさん@海外の反応

ドイツ「ねえ、限られた資源と製造能力で世界最大の列強のうち2国と最前線で戦ってくんない?」

日本「はいはいわかりましたー…」

名無しさん@海外の反応

かなり興味深い疑問!

名無しさん@海外の反応

日本はソ連が十分弱くなったら攻めようと思ってたけど、満足せずに延期し続けてる間に無期限延期になってしまった。

名無しさん@海外の反応

ドイツはフィンランドにも41年の6月になるまで作戦について伝えなかった。実に実行の2週間前だ…

名無しさん@海外の反応

東南アジア侵攻は逃せないチャンスだった。それに、ソ連の戦車や大砲は1941年当時のヨーロッパではもう古くなっていたけど、1945年の日本の装備をほとんどが上回っていた。

名無しさん@海外の反応

理由は3つ:

1.日本軍がノモンハンで負けた。

2.ソ連はモンゴルや満州に大量の兵力を持っていた。

3.日本軍は中国で手いっぱいだった。

名無しさん@海外の反応

日本「えー、大変そう」

名無しさん@海外の反応

日本が中国ですぐに勝利していたら歴史はどうなったのか気になる。ロシアには広大な国土があるから、なんとかダブルで侵攻を受けても勝ったと思う。どちらの国も「短距離」タイプの軍を持っているからソ連の広大な国土を長い時間かけて進軍していくのには適してなかった。

名無しさん@海外の反応

動画見てないけど、木材以外に価値のある資源がなかったからじゃないかな。

名無しさん@海外の反応

日本軍はソ連軍に対して拡大し過ぎで発達不足だったのかもしれない。日本海軍がソ連海軍に圧倒され、日本の陸軍は苦戦した。一方で無傷で警戒中の米軍が潜んでいる可能性もあった。

名無しさん@海外の反応

ドイツは日本よりも中国の味方だったw

名無しさん@海外の反応

そんなにぼろ負けしたら、こんなことも考えてしまうかもね…「アメリカを攻撃するのはいいアイデアだ」。

名無しさん@海外の反応

日本はイギリスとアメリカを最大の敵だとみなしていた。ソ連をドイツと同盟関係にしようと思っていたが、ドイツが断った。

名無しさん@海外の反応

日本の海軍と陸軍のライバル関係が関係してるよね。バルバロッサ当時は日本の海軍は政治的に優位で、太平洋への進出や対アメリカに賛成していた。

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