日本のナチスUボート
第二次世界大戦を専門とする歴史家が投稿したこちらの動画では、戦時中にナチスドイツから日本に贈られた潜水艦のエピソードが紹介されている。なかなかマニアックなところまで取り上げているチャンネルで、視聴者からは興味深い話だったとのリアクションが届いている。
出典:https://youtu.be/6Rit1TYZoRQ
- 1943年の海軍会議で、ヒトラーはカール・デーニッツ元帥に、日本海軍から2隻のUボートを送ってほしいとの要求があることを明かした。
- 日本の在ドイツ大使は、ドイツの設計に基づいた潜水艦を大量生産したいと要求していたが、元帥は日本には不可能だと拒否していた。
- しかし、開戦当初から、日本がドイツに原材料を送り、ドイツは日本に技術を提供するという密かな貿易が行なわれていた。
- この貿易を絶たないためにも、ヒトラーは日本の要求を受けることを元帥に説得させ、元帥はしぶしぶ2隻を選び、日本へと送ることにした。
- 1隻目は既に3回の巡回を済ませたU-511だった。マルコ・ポーロ1号と名付けられたこの潜水艦は、交易物資とともに東京で新しい役職に就くため帰国する在ドイツ大使を乗せて日本に向かった。
- この潜水艦は日本への贈り物であったものの、艦長は途中でこの機会を利用し、敵艦を撃沈することに成功した。
- マラヤ連邦のペナンで大使は下船して飛行機で日本に向かい、代わりに日本の海軍士官が乗船して日本まで移動した。
- U-511は日本の呉に到着し、呂500として日本海軍で使用されることになった。このUボートに乗ってきたドイツ兵は、日本の船でペナンの基地へと戻った。
- 呂500は最後まで日本の海軍に使用され、1945年8月に舞鶴で米軍に屈し、現在もその海底に沈んでいる。
- 2隻目のU-1224に対してはすでにに日本側が乗組員を用意しており、日本の潜水艦伊8でドイツまでやってきた。
- この潜水艦はのちに日本では呂501と呼ばれ、ドイツでは「マルコ・ポーロ2号」と呼ばれた。
- 呂501は日本に向かう途中、連合国側に発見されてしまった。
- 暗号解読により特定したエリアに空母1隻と駆逐艦5隻を向かわせ、米軍は呂501を捜索した。護衛駆逐艦がソナーで呂501をアフリカのカーボベルデ諸島付近で発見し、乗組員全員とともに潜水艦を撃沈した。その後、呂501についての消息はない。
海外の反応
・名無しさん@海外の反応
ドイツと日本のどちらでも使われたUボートって、イリノイ州シカゴにあるU-505のようにいい観光スポットになりそうだ。
・名無しさん@海外の反応
1隻の潜水艦を探すのに米軍が割り当てた資源の量がすごい。
・名無しさん@海外の反応
あまり知られていないドイツと日本の貿易について知れてよかった
・名無しさん@海外の反応
日本はかなり優秀で、大きく、長距離移動のできる潜水艦を作った。Uボートを調べてもあまり学ぶことはなかったかもしれない。魚雷も一流だ。
・名無しさん@海外の反応
「その後の消息はない」栄光を求めた多くの者たちの皮肉な墓碑銘だ。
・名無しさん@海外の反応
日本のほうがもっと優れた、大きく、技術の進んだ潜水艦を作っていたが、ドイツのUボートのほうが顕著に攻撃能力を活用した。
・名無しさん@海外の反応
第二次世界大戦ネタは飽きない
・名無しさん@海外の反応
これは少し聞いたことがあった。でも全部は知らなかった。いい動画だね。もっと映像があると見やすいけど。
・名無しさん@海外の反応
元帥は2隻のUボートのお返しに空母を要求するのを忘れてしまった。
・名無しさん@海外の反応
もっと戦時中の日本について取り上げてほしい
・名無しさん@海外の反応
ペナンについてはよく知ってるつもりだったけどそこにナチスの潜水艦基地があったなんて知らなかった!!今も名残があるのか気になった。
・名無しさん@海外の反応
問題は日本がドイツやアメリカのように潜水艦を使わなかったことだ。日本軍は商船を攻撃しなかった。
・名無しさん@海外の反応
日本はアメリカを攻撃するんじゃなくて、ドイツがヨーロッパでの戦争を終えるのを待つか、ソ連と戦うドイツを支援するべきだったんだ
・名無しさん@海外の反応
かなり興味深い
・名無しさん@海外の反応
U-511って艦隊これくしょんに出てくる
・名無しさん@海外の反応
第二次世界大戦にはハリウッド大作を少なくとも20本作れそうな隠れた秘密やストーリーがあるね。