戦後日本兵たちには何が起こったのか?
こちらの動画では、第二次世界大戦で戦った日本兵たちの終戦後について、アニメーションイラスト付きで解説している。動画の内容に対しては世界の様々な地域の視聴者から、リアクションや戦争や日本兵に関する補足情報のコメントなどがたくさん届いている。
出典:https://youtu.be/rTh-aM_A4hM
動画の大まかな流れは以下の通り
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- 連合国側の西側諸国は日本政府からの送還要請を受け、捕虜たちを日本に帰還させた
- 戦時中は歓迎された兵士だったが、帰還時には日本の戦後の貧しさもあって冷たく扱われたことが当時の記録に残っている
- ソ連では、帰還させてもらえるはずがシベリアに送られ、過酷な待遇を受けた捕虜たちがいた
- スターリン政権下でソ連のインフラ建設のための労働力として厳しく働かされた捕虜たちもいた
- 太平洋の離島などでは、残留兵として敗戦を知らずに生き続けた兵士たちもいた
- 戦争犯罪者として裁判にかけられた捕虜たちもおり、東京裁判では28名がA級戦犯として起訴された
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海外の反応
・名無しさん@海外の反応
ある日本兵はソ連の捕虜となって最終的にウクライナに落ち着き、子供もいた。生存情報を日本政府に伝えなくてはならない状況にすらなって、亡くなる数年前に日本にも訪れている。
・名無しさん@海外の反応
戦前、戦中、戦後すぐの日本での暮らしについても知りたい。
・名無しさん@海外の反応
枢軸側の兵士になって最後はソ連の手に渡るって、おそらくかなり最悪な結末だよな
・名無しさん@海外の反応
フィリピンのジャングルで30年間も戦ってたという日本兵は、子供時代にかくれんぼの相手になったら楽しかっただろうな
・名無しさん@海外の反応
欧米世界の人が日本軍の犯罪に関して言及してくれると心が温まる。そうした犯罪がアジアの多くの人々の人生を形作っていて、祖父母が日本軍の犯した残虐行為の中を生き抜いたことを知って悲しくなった
・名無しさん@海外の反応
1960年代や70年代まで生き残った日本兵が、特に東京などの都市出身の場合、帰還して体感した驚きはどれほどだったのだろう。
・名無しさん@海外の反応
うちの祖父は満州で戦った軍人だった。戦後は中央アジアに帰還し、戦った相手の兵士たちと会った。そこで捕虜たちが建設している建物の隣に暮らしていた。捕虜たちは祖父の家にしばしばやってきた。中には泊まっていくことにする人もいた。
・名無しさん@海外の反応
どれほど多くの戦争犯罪者がいて、高い階級のために罪を訴えられずに見逃されたA級戦犯がかなりいたことに触れる必要性はかなりあると思う
・名無しさん@海外の反応
大勢の兵士たちが家に帰ったという話はちょっと事実が無視されてると思う。帰る家なんてなかっただろうから。日本の主要都市はほぼ建物が3/4破壊された。住んでいた家ももうなくなっていて、家族は死んでいたか、急ごしらえの貧民街で暮らしていただろう。
・名無しさん@海外の反応
主に戦ったのはアメリカ、イギリス、オランダ、コモンウェルスの軍だったから、ソ連の捕虜になった人数なんてあまり考えたことなかった。最近アニメの中で主人公が祖父がシベリアに収容されたときの記録を読むシーンがあったから、この動画はちょっとぴったりのタイミングだった。興味深い内容
・名無しさん@海外の反応
日本には、戦後の日本軍に対する品位と寛容さを伝えるために蔣介石を祀った神社がある。わかりやすい理由で物議をかもす話題ではあるけど。
・名無しさん@海外の反応
うちの曾祖父は終戦後の復興に携わり、今でも東京在留時の日記を持っているんだけど、街は何度もの爆撃で荒廃し、市民たちは元軍人を冷ややかに扱い、失敗を責めて街中で殴り殺そうとすることもあったと説明してる
・名無しさん@海外の反応
戦後29年も戦った日本兵は残業代もらえばよかったのに。
・名無しさん@海外の反応
1個人の人間としてのレベルではこうした兵士たちの同情を感じるけれど、同時に支配を求めてアジアに対して喜んで進んで負わせた不必要な残虐行為を知っているから同情しない。戦時中のドイツ兵に対しても同じような複雑な感情がある。
・名無しさん@海外の反応
東京裁判ではA級戦犯がほとんど刑務所で15年巣推すことさえなかったということからあれは偽裁判だと思っている中国人、韓国人、東南アジア人が多い。それとなかには日本の総理大臣になった人(岸信介)もいて、これは(もし生きて捕まっていればA級戦犯だった)ヒトラーが西ドイツ首相になるようなもんだ!でも、戦後の収容所の話は興味深いね。