日本の「空気を読む」:これが重要な理由
外国人向けに日本の社会や文化について皮肉を込めて紹介している「Japanese Comedian Meshida」さんが投稿したこちらの動画では、日本の「空気を読む」文化について説明。海外の人たちからは、それぞれの国での似た状況や、やりすぎな「空気を読む」文化に対しての不快感などを語るコメントが届いている。
出典:https://youtu.be/GR09S2woFMQ
動画の流れは大まかに以下の通り
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- 日本では空気を読めない人が「KY」として呼ばれるという話(そしてKYは海外に出て日本のネガキャンするという余談)
- 日本の教育システムが空気読める人間をクローンのように生産しているという話
- 会社のトップが巧みに生み出す「有給使う=KY」的な空気など、「空気」が絶対的な判断基準になって人を動かすという話
- 「空気」が失敗の言い訳に使われた例として、戦艦大和のエピソード
- 多神教の日本ではあらゆるものが絶対基準になり、世間こそが神様であるという話
- 「サービス残業したら褒められる→社内で共感が生まれる→サービス残業はいいことだと思う」のように空気が作られてくという話
- 「空気」は洗脳のことかも?というまとめ
海外の反応
・名無しさん@海外の反応
アメリカではみんなかなりばかげた意見を口に出すが日本ではハブられるのが怖くて誰も意見を共有したがらない。両極端な狂気だ。
・名無しさん@海外の反応
いいね―別の言い方をすると、「出る杭は打たれる」―アメリカの大企業で50年過ごしてきて、米国企業でも「空気を読む」のは同じぐらい重要なのは確かだよ。心からの誠意を表すうなずきは非常に使える技だ。
・名無しさん@海外の反応
出身地のプエルトリコでは、「Leer el ambiente」ってフレーズがあって周囲の状況を読むって意味なんだ。だからうちらにとってはそれに似てる。首都は違うかもしれないけど、ほかの島はそんな感じだよ。
・名無しさん@海外の反応
オーストラリアでは、「reading the room(空間を読む)」って言うよ。職場の会議とかその他の親睦会(ディナーパーティーなど)の人が集まる場面で使われることが多い。
・名無しさん@海外の反応
こういう技が人に反対するときに使われるのが興味深い。目立って、悪い雰囲気を作ろうとする人はみんな左遷され…自らに手かせをはめて物事をはっきり見ない人は、問題ないとされる。
・名無しさん@海外の反応
よく他人に反対する人間として(これが友達が多い理由でもあるんだけど)、日本社会になじむのは難しそうだ。
・名無しさん@海外の反応
「空気を読む練習にうってつけなのはディナーの席で政治を論じることです」(※動画内のオチ)
よくアメリカ政治の議論するからうちの保守派の家族は同感だろうな笑。
・名無しさん@海外の反応
日本でソーシャルワーカーだったけど職業柄もっとのんびりしてると思ってた。間違いだった。
・名無しさん@海外の反応
ある意味他人への共感力を育まなくてはいけないという意味では嫌じゃない。いやなのは相手が考えていることがわかってるのに直接的に尋ねないことなんだ。日本人から本人にそのつもりはなくて直接的な言い方をされたことがあって、相手は「ごめん、尋ねるのを忘れてて」って撤回したから怒ってないし問題ないって伝えてから質問に答える羽目になった。
・名無しさん@海外の反応
皮肉なことに、アメリカの皮肉なユーモア(sarcasm)は「空気を読む」の逆なんだよね。結局日本人をこういうユーモアで混乱させたりイライラさせちゃうことが多い。ちなみに言っておくと、皮肉なユーモアは明らかなことがわかってない人をけなすためにあるんだ。
・名無しさん@海外の反応
不思議なのはこの文化があるにもかかわらず、日本人にも空気読めてない人が多そうなところだよね。これは特に、年上だから何でも知ってると思い込んでる日本人の高齢男性に当てはまる。
・名無しさん@海外の反応
悪く受け取らないでほしいけど、日本の文化が大好きな一方、日本の社会構造についてこれまで知った限りでは日本の社交文化は集団的な社会不適合を産んでいる。
・名無しさん@海外の反応
空気を読むというのは服従の別の言い方だ。
・名無しさん@海外の反応
超クールな動画で非常に勉強になる!
・名無しさん@海外の反応
空気読むってアメリカのハイスクールの派閥みたいだ。みんなリーダーアヒルに従ってガーガー鳴いて誰かしらが「ガチョウ」だとみなされる。