本当のゴースト・オブ・ツシマーモンゴルの日本侵攻ドキュメンタリー
鎌倉時代の元軍との戦いを描いたゲーム「ゴースト・オブ・ツシマ」のおかげで元寇のエピソードに海外から注目が集まっているようだ。こちらの動画のチャンネルは以前にもこの出来事を紹介しているが、特に今回は対馬での最初の戦いに焦点を当てて「リアルなゴースト・オブ・ツシマ」として紹介している。
出典:https://youtu.be/11Y_Q1w-d_E
- 九州と朝鮮半島の中心にあった対馬は、倭寇の拠点となっていた。モンゴル帝国と朝鮮の戦いが終わるまで、倭寇は朝鮮侵攻を繰り返した。
- そんな倭寇の動きがモンゴル皇帝の目に留まった。モンゴル皇帝は統治を認めさせようと対馬に使いを送ったが、鎌倉幕府は面会さえも拒否。
- モンゴル人が中国の宋朝を破り、元朝が成立すると、モンゴル、女真、キタン、朝鮮、中国北部の兵士を連れてまずは対馬への侵攻に向かった。
- 元軍が到達すると、対馬の八幡神社で火事が起こった。文献によると、その屋根に集まった鳩は火薬のようなものを結び付けられており、これが元軍の最初の攻撃だったのではないかといわれている。
- 対馬守護代の宗助国は元軍に対抗するため武士を集めた。しかし、その勢力は元軍に比べてかなり劣った。海岸での戦いで圧倒された宗助国の軍は退き、対馬の侵攻は進んだ。
- 対馬の町は焼かれ、宗家の女性は元の手に渡る前に何人も自殺した。対馬の陥落後、元軍は壱岐島に向かった。
- 壱岐島では平景隆の軍が戦った。しかし、元軍の攻撃を防げず、樋詰城に逃げる。女性や町人も総出で城を守った。元軍は簡単に城壁を突破し、捕らえた日本人を盾にするなどの手段を使った。結局、景隆の一家は自害に追い込まれることになった。
- 博多湾に侵攻した元軍だったが、ここでは日本側の強い抵抗や嵐などにより勝利はかなわなかった。
- その後、1281年に二度目の元軍による侵攻があった。しかし、一度目よりも激しい嵐が起きて元軍に被害を及ぼした。
- 対馬や壱岐ではその後も元の侵攻に備えていたが、さらなる侵攻は実現しなかった。壱岐と対馬には、当時戦った島の人々の記念碑が残っている。 (要約)
海外の反応
・名無しさん@海外の反応
対馬の支配者「モンゴル人の使いだと?無視しておこう…」
水平線に艦隊が現れる
「おいおい、まずは話し合おうな!!??」
・名無しさん@海外の反応
「我々は中国を征服した」
「敬意を払わなければ、お前の所も侵略するぞ」
・名無しさん@海外の反応
↑と、モンゴル人が言いました。
・名無しさん@海外の反応
↑「いいですよ」と日本人は言いました。
・名無しさん@海外の反応
個人的にはこのゲーム好きなんだけど、モンゴル人だから、嫌わなくちゃ。
・名無しさん@海外の反応
モンゴル「我々には無敵の軍隊がある」
日本「我々には台風がある」
・名無しさん@海外の反応
信仰者が無慈悲に殺される様を見た日本の神々「では、台風だ」
・名無しさん@海外の反応
日本「おお、モンゴル人には大きな恐ろしい海軍があるのか…嵐にすべて壊されたら恥だろうな…」
・名無しさん@海外の反応
朝鮮や中国の造船技師がモンゴルのために戦いたくないから船づくりを放棄したといううわさもある
・名無しさん@海外の反応
本気でゴースト・オブ・ツシマの開発者がこの動画のスポンサーかと思った
・名無しさん@海外の反応
これは本当に待ってたよ。
・名無しさん@海外の反応
メモ:モンゴルからの使いを無視したり軽視したりしないこと
・名無しさん@海外の反応
あー、これには「アンゴルモア 元寇合戦記」って漫画やアニメがあるよ。歴史的には不正確だけど、立派な作品だ…
・名無しさん@海外の反応
クロアチアから、日本を愛してるよ
・名無しさん@海外の反応
海賊、泥棒、犯罪者。これが歴史の大部分のまとめだ
・名無しさん@海外の反応
人間を盾に使うような卑怯者相手に勇敢に激しく戦った日本人を尊敬する
・名無しさん@海外の反応
歴史的には不正確だけどいいストーリーだね!当時の朝鮮、中国、日本の歴史家の間で異なる事実があって1つではないんだ。モンゴル人は当時中国の歴史家を使っていた。だからどうだということはないけど。
・名無しさん@海外の反応
おお、かわいそうな対馬の海賊たち…これは当然の報いだ。
・名無しさん@海外の反応
モンゴルが侵攻しなかった場所ってどこなのか教えてくれない?どこにでも行ってるよね
・名無しさん@海外の反応
やった!ゲームが発表されてから、これをずっと待ってたんだ!