稚児のみだらな生活:日本の僧たちの若きお手伝いたち
日本の歴史について、有名な話から教科書にはなかなか載せられないような内容まで、外国人向けに解説しているチャンネルが投稿したこちらの動画。今回の内容は明らかに後者で、平安時代以降寺院に「お手伝い」として送り出されていた「稚児」の生活について、特に「男色」方面の内容を中心に説明されている。
出典:https://youtu.be/M8YqOyuyoWg
- 中世日本の影響力のある家は、「稚児」として息子を寺に学びに行かせることがありました。
- 稚児は髪を長くしてポニーテールのようにして、踊りなどさまざまなことを学びました。
- 稚児になることはその子供の地位を上げ、さらに家に大規模な寺と政治的なつながりを持たせることになりました。
- 稚児には宗教的な式典で舞を踊る役割もありましたが、性的な意味も含めて寺の主である僧侶に仕えるという役割もありました。
- 稚児と僧侶との関係は、家族と寺が調整し、ノーマルなものだとみられていました。僧侶の方がかなり年上で権力を持っていること以外は、普通の恋愛関係とほぼ同じでした。
- しかし、男性同士の肉体関係というのは同じ年齢や地位同士の場合はよく思われませんでした。そのため、僧侶は稚児が大人になったとたんにそういう興味を失いました。
- 僧侶と稚児の間には浮気もあり、大体の場合は僧侶の方がほかの稚児に手を出すというケースでした。
- 稚児と僧侶の間の性的関係は、巧みに隠語を使って描写されていました。
- 稚児と僧侶の関係を絵付きで描いた「稚児草紙」という資料も残っています。(ここら辺は画像もモザイクだらけですので、内容はご想像か検索にお任せします。)
- 僧侶が稚児に行為の仕方を指南したり、極端なケースだと寺をたらいまわしにさせられる稚児もいましたが、そういったのはまれで、稚児はたいてい、寺での特権的な身分を楽しんでいました。
- 僧侶たちが性的関係を結ぶのは、厳密にいうと御法度でした。
- 僧侶たちの間には、守らなければならない戒律がたくさんあります。しかし、僧侶になるときにそうした戒律を「体の一部にする」儀式を行うことで、たとえ戒律を破っても戒律が僧侶の体に入っているということで許されました。もちろん、この習慣のおかげで僧侶たちの間の禁欲的なルールは緩んでいきました。
- また、稚児になるためには1週間の儀式を行う必要があり、そこで稚児は人間と仏の間のような存在にされたのです。そうして、稚児とのセッ○スは宗教的な行為に高められたのです。
- 稚児の文化は平安時代から江戸時代にかけて続き、今でも「お稚児さん」として行事に残っています。
海外の反応
・名無しさん@海外の反応
歴史を学べば学ぶほど、自分たちがそれを繰り返しているということに気づく
・名無しさん@海外の反応
稚児草紙が初のBLエ○漫画!
・名無しさん@海外の反応
アニメって思ったより歴史に基づいてるのかな。
・名無しさん@海外の反応
男同士の権力や年齢の違った関係はかつてはあまり珍しくなかったようだね。ギリシャに、ローマ、日本…もっと歴史の勉強に時間を使ったらさらに発見しても驚かないね^^現代の世界が平等な関係に向かって行って(少なくとも…そうだと思いたいよね)よかったけど、もちろんそんな風に考えるのは現代の世界で育ったからなんだよね^^
・名無しさん@海外の反応
日本の髪型の歴史についての動画も楽しそう
・名無しさん@海外の反応
メモ:もし中世の日本にテレポートさせられてもお坊さんとは仲良くならないこと
・名無しさん@海外の反応
インドにも、同じような慣習があって、あらゆる方法で先生に仕えるけど、先生(生徒)と寝るのは禁止で、誰もそれは許されてなかった
・名無しさん@海外の反応
これは…悲しい。現代にもこの名残が残ってる。
・名無しさん@海外の反応
歴史を学ぶほど、いかに当時がよりひどかったかを知る
・名無しさん@海外の反応
日本人や日本の文化がほかの何より好きだけど、ここでちょっと学んじゃった。でもマジでクールだから日本が好き。
・名無しさん@海外の反応
申し訳ないけど、中世の日本の力を持った僧侶はほぼろくでなしだよ。有名な義経でさえ子供時代は稚児だった。義経がこういう関係を結ばされていたことを初めて読んだとき、すごくショックだった。
・名無しさん@海外の反応
つまりこれは中世の「ぼくのぴこ」ってことか
ああ、どこからアイデアを得たのかわかったよ
・名無しさん@海外の反応
犬夜叉の弥勒のこと考えながらずっと動画を観てた💀
・名無しさん@海外の反応
ポルトガル人修道士「日本人がすでにカトリック教徒だったなんて知らなかったわ」
・名無しさん@海外の反応
日本の仏僧がこれをやっていたと知って恥ずかしい。
・名無しさん@海外の反応
弥勒が変態だと思って育ってきたのに…