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海外「興味深い話だ…」壮絶な硫黄島の戦いを生き抜いた残留日本兵の記録

投稿日:2022/11/02 更新日:

 


 

硫黄島で1949年まで降伏しなかった最後の残留日本兵

こちらの動画では、太平洋戦争における硫黄島の戦いで生き残った日本兵について、証言記録などの資料をまとめて解説している。動画内では以下にまとめた内容のほかにも細かなエピソードが紹介されており、視聴者たちから関心を集めている。

出典:https://youtu.be/iFj_JAp-4MI

動画内の説明の大まかな流れは以下の通り

    • 硫黄島の戦いは1945年3月26日の銃撃戦で日本軍がほぼ全滅したと思われ一応は終結した
    • しかしその後も生き残った日本兵は、ほとんどが降伏せずに抵抗をつづけた
    • 日本兵たちは洞穴や塹壕で米軍から物資を奪って生き延びた
    • 日本兵同士で食料や命を奪い合うこともあり、生存者は「硫黄島には(経験談を本にしてもらえるような)栄光はなかった」と語った
    • 米軍側は残留兵を見つけるたびに攻撃せず通訳なども使って降伏を求めた
    • これは「米軍からの良い待遇を日本の家族らに伝えさせて日本本土への侵攻に抵抗させないため」の計画だったと米軍人が振り返っている
    • 降伏しない残留兵に対しては、洞窟に水を流したり火をつけたりといった最終手段も使われた
    • 大規模な降伏があったのは「終結」から3週間ほどたった後だった
    • ほら穴から出てきたところで米兵がたばこや菓子をくれたり捕虜収容所でちゃんとした衣服や食事が出されたり、といった米軍の「人道的」対応に日本兵は驚いた
    • 1949年になって、ようやくそれまで硫黄島で隠れていたことが判明した2人の日本兵もいた

 

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名無しさん@海外の反応

最後に日本兵が降伏したのは1973年ごろのフィリピン。戦後生き残った上官が探しに行って降伏するように命じて初めて降伏した。

名無しさん@海外の反応

とてもよくできた動画。いつも太平洋諸島の残留日本兵の話には興味をそそられる。敵に囲まれて帰る手段がない中で生き延びる男たちの必死さと狡猾さがなぜか興味深い。

名無しさん@海外の反応

これはかなり興味深い。こうした島々の占領後の話はあまり語られないけど、こういう話は戦時中に連合国側が侵攻した島ならどこにでもあるんだろうね。「終結」後に死んだ人たちも主な戦闘で死んだ人たちと同じように死んだことには変わりない。

名無しさん@海外の反応

硫黄島の戦いの後でこんなにも長く生き抜いた日本兵はかなりすごい。

名無しさん@海外の反応

あとほとんど降伏したのは残留兵だったっていうのも重要だよね。これ以前の摺鉢山などの戦いで降伏した日本兵はわずかだった。

名無しさん@海外の反応

これだけ長く持ちこたえてから降伏するという信念と勇気は言葉にできない。おまけに何年も見つからずに生き延びるというのは訓練と意志の力、はたまた米軍の愚かさの証明か。

名無しさん@海外の反応

米軍が日本の本土侵攻をしなければならなかったらどんな虐殺が起こっていたことか。おそらく100万人以上が犠牲になった。日本にはまだ日本を守る大規模な軍があった。女学生たちは竹やりの訓練をしていた。

名無しさん@海外の反応

これは太平洋戦争について知らなかった歴史。グアムやフィリピンの残留日本兵については知ってた。でも硫黄島の残留兵は知らなかった。

名無しさん@海外の反応

2人の体験に基づいた映画作った方がいい。

名無しさん@海外の反応

この人たち(日本兵)がこんな状況で生きていたということがほとんど信じられない。本当に理解を超えてる。かなり精神が強かったに違いない。日本人であろうとなかろうと、本当に勇敢な人だ。

名無しさん@海外の反応

その後穏やかに順調な暮らしを送られたことを願います。

名無しさん@海外の反応

いい話だった。このテーマについてもっと説明してほしいです。

名無しさん@海外の反応

降伏せずに3分の2がただ死んでいったことを考えるとあり得ない

名無しさん@海外の反応

1949年まで抵抗し続けた2人の妻や親はどんな感じだっただろうか。死んだと思っていたら、実は生きていたことが分かったなんて。

名無しさん@海外の反応

装備は別にして、歴史上のどの兵士たちと兵役を果たしたいかといわれたら、旧日本軍の兵士たちだろうな。

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