海外の反応

これは意外な歴史?ローマ教皇のもとへ行った「サムライ」の物語

投稿日:2019/10/21 更新日:

 


 

日本人のローマ遠征

こちらのチャンネルは、世界の歴史について地図や写真を使って解説する動画を投稿している。今回取り上げてくれたのは、「ローマに行った日本人たち」の話。日本人にとってもあまり有名ではない歴史の話だけれど、「ヨーロッパに行ったサムライ」は海外から意外に映ったのか、注目を集めたぞ!

出典:https://youtu.be/CHUEblgnwV0

  • 1582年、日本から4人の天正遣欧少年使節がヨーロッパへと送られた。アフリカからヨーロッパ各地を回り、3年後に教皇のもとを訪れた。
  • 日本はもう1度ローマに使節を送ったことがあり、これが慶長遣欧使節団である。
  • この使節は南米周りでヨーロッパに向かった。スペイン領のメキシコで日本人の侍がスペイン兵を刺したという事件がアステカ皇族の子孫によって記録されている(これは歴史上で最高にクールな文だね!)
  • フランスのサントロペでは、「日本人は小さな使い捨ての紙を使って鼻をかんでいる」という細かい当時の様子の記録が残っている。
  • この使節団の後、日本は鎖国に入り、使節が帰ってきた2日後にキリスト教が禁止された。ローマ教皇のもとで描かれた興味深い日本人の肖像画が記録に残っている。

 

海外の反応

名無しさん@海外の反応
パラレルワールドでは、日本は完全にカトリックの国になっていて、教皇は数百人の侍に守られている

名無しさん@海外の反応
なんだ、てっきりローマ帝国時代の話なのかと思ったよ

名無しさん@海外の反応
「1614年、日本の侍がメキシコのアカプルコでスペイン兵を刺したということがアステカ皇族の孫によって記録されている」

すごい。これはすごい。

名無しさん@海外の反応
日本はローマ帝国には使節を送っていなかったと聞いて、計り知れないほどがっかりしたぞ!

名無しさん@海外の反応
ヨーロッパ「うちには産業がある」

日本「うちにはティッシュがある」

ヨーロッパ「 °0° 」

名無しさん@海外の反応
メキシコ人だけど、アカプルコで起きた事件の話は本当に驚いたよ。侍がメキシコを訪れていたことも知らなかった。すごくクールだね。

名無しさん@海外の反応
もし侍がコンキスタドールと戦う映画をアステカ皇族のナレーション付きで上映してくれるんだったら、金があるだけ何回でも見に行くよ。

名無しさん@海外の反応
メキシコへの使節が起こした争いは、アメリカ先住民にとってはポップコーンを食べながら見物するようなものだったんじゃないかと思う

名無しさん@海外の反応
キリスト教の宣教師がサムライを教化して面白いと思うのは、戦の時にキリスト教徒の侍が「サンタマリア!」って叫んだかもしれないこと

名無しさん@海外の反応
「日本の侍がスペイン兵を刺したのをアステカ皇族が目撃」

二度と繰り返されない歴史だね

名無しさん@海外の反応
これのアニメが見たい。この話全体の。

名無しさん@海外の反応
支倉の旅のドラマ化映画が見たいよ。メキシコにサムライだなんて、無視できないほどクールだ

名無しさん@海外の反応
これがもしローマ帝国時代に起きていたら、頭が爆発しちゃうよ!シルクロードがあったから、可能性はあったかもしれないけど… でもこれもクールだね。1614年に日本の侍がメキシコでスペイン兵を刺すなんて。今日聞いた中で最高の話だね。

名無しさん@海外の反応
教皇がサムライを雇えたらどうだったんだろうって考えちゃった。最高の予感がする。

名無しさん@海外の反応
「Cimarronin」っていうグラフィック・ノベルがあるんだけど、植民地時代のメキシコへの侍の遠征がもとになった話だよ。個人的に読みごたえがあると思うよ。

名無しさん@海外の反応
日本人からヨーロッパはどんなに奇妙に見えてたんだろう…

名無しさん@海外の反応
アカプルコにいくつかサムライの像があるんだけど、やっと理由がわかったよ

名無しさん@海外の反応
数十年後、日本人は1940年にふたたびイタリアへと旅立った

名無しさん@海外の反応
この歴史はアメリカや大英帝国がかかわってないから人気の歴史チャンネルでは教えてくれてないんだね

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