海外の反応

海外「知らなかった」「もし長引いていたら恐ろしいことに…」一歩間違っていたら起こっていたかもしれない、三度目の日本への原爆

投稿日:2020/08/19 更新日:

 


 

三度目の原爆投下―日本 1945年

日本が1945年8月15日に降伏をしていなければ、アメリカはさらに原爆を投下していたかもしれない。第二次大戦に関する研究者が投稿したこちらの動画は、原爆投下から降伏までの日本における状況を解説しつつ、アメリカが計画していたという「第三の原爆」について説明している。

出典:https://youtu.be/I34pxr23Nhw

  • マンハッタン計画を指揮したグローブス将軍は、初の原爆実験完了後、「リトルボーイ」と「ファットマン」のほかにももう2発の「ファットマン」を投下する必要があると説明していた。のちに広島に原爆を投下するB-29の機長となったティベッツ大佐は、日本を降伏させるには5発の原爆を落とす必要があるとしていた。
  • 45年7月16日~8月2日の間に日本への無条件降伏を求めるポツダム宣言の草案が作成されたが、天皇制を廃止しようとするアメリカの意向に、日本は受諾をとどまった。日本はソ連や、英米のさらなる攻撃(ダウンフォール作戦)に対して戦力を備えていた。
  • (中略)抵抗を続ける日本に対し、アメリカは原爆の投下を決断。広島・長崎に甚大な被害を及ぼした。トルーマン大統領は日本に対し、降伏しなければ更なる原爆を落とすと脅した。
  • ソ連との戦いでも戦局が悪くなっていた日本では、降伏するかどうか意見が分かれていた。天皇はポツダム宣言受諾の意思を示したが、内閣では反発もあった。
  • 日本が降伏の意思を示さない間に、アメリカは第三の原爆を準備していた。8月19日に投下予定だった。投下予定地については様々な説がある(動画投稿者はもともと長崎に変更前に投下されるはずだった小倉ではないかと予想)
  • アメリカの攻撃も続き、日本側の意見の対立も続いたが、最終的に天皇が降伏宣言を放送することを決断。しかし、降伏反対派がクーデターを起こす→クーデターは失敗し、8月15日に天皇が降伏の宣言を放送。
  • 19日に投下される予定だった原爆は、9月2日まで更なる抵抗に備えて保管されていた。もしクーデターが成功して日本が降伏していなければ、第三の原爆は落とされていたかもしれない。                    (要約)

 

海外の反応

名無しさん@海外の反応

歴史は一部の歴史家がみんなに信じ込ませたがるような単純なものじゃないという証拠だね。アメリカが原爆を二発投下して、日本が「わかった!もうたくさんだ!降参だ!」となったというのが従来の見方だ。実際は何週間も戦いが続いて日本側で謀略があったために延長されたんだね。

名無しさん@海外の反応

こういう「本当の歴史」を高校で教えてもらえなくて残念だ

名無しさん@海外の反応

次回:降伏の次の日に起きた日本の北海道から極北におけるソ連軍に対する戦略的勝利

名無しさん@海外の反応

ちょっとはっきりさせてほしいんだけど…日本の将軍の一部は、アメリカが一瞬にして都市全体や産業拠点を破壊できる爆弾を持っていると知った後でも戦いを続けたがっていたのか?なんて戦略的な考え方だ…

名無しさん@海外の反応

おそらく戦争の最も重大で最も謎に満ちたエピソードだね。この歴史は今まで聞いたことがなかった。

名無しさん@海外の反応

祖父は日本への侵攻のための軍隊輸送船に乗っていたんだ。原爆がなければ、自分は生まれてなかったかもしれない!

名無しさん@海外の反応

日本の軍部のリーダーが降伏にそこまで反対していたのは、勝利した連合国によって戦争犯罪で裁判にかけられて処刑されたくなかったからだろうね。

名無しさん@海外の反応

重要な事実は、日本側が、ダウンフォール作戦では関東平野や九州に上陸してくることを正確に予測していたことだ。もし作戦が実行されていれば、日本にとっても連合国にとっても最悪な悲劇になっていただろう。

名無しさん@海外の反応

言えるのは、トルーマンの立場じゃなくてよかったということだけだ。本当につらい決断だし、どうすればいいかわからない。

名無しさん@海外の反応

天皇の降伏宣言が日本国民に向けて放送された時、日本人は初めて天皇の声を聴いたんだよね。

名無しさん@海外の反応

状況の現実を考えると、トルーマンはやるべきことをやったと思う。

名無しさん@海外の反応

両親はこの時代に生きていた。もしトルーマンが核兵器の使用を命令していなかったら、日本への侵攻があって多くの犠牲者が出たと母は指摘した。そしてトルーマンはつるし上げられ、アメリカには大規模な混乱が起こったと。

名無しさん@海外の反応

ネタバレ警告:日本の高官はその後すばらしい車やバイクを作ることになった。

名無しさん@海外の反応

信じられない皮肉だが、原爆は、実際何百万人もの命を救うことになった。そのほとんどが日本人だ。アメリカの断固とした態度からして、結局は勝利しただろうが、もしこのように戦争がすぐに終わらなければ、太平洋は血で染まっていた。

名無しさん@海外の反応

死んだ叔父は連合国の侵攻部隊だったけど、原爆投下によって解散させられたんだ。叔父やその他大勢の命を救ったかもしれない!

名無しさん@海外の反応

長崎に原爆を投下した後、少なくとも6ヶ月はアメリカは三発目の原爆を落とせない状況だったのだと思ってた。

名無しさん@海外の反応

すばらしいね。この全体的な事実的な説明は、日本は原爆を落とされなくても降伏していたと言っている人たちが嘘だと示してくれたね。

名無しさん@海外の反応

1967年の「日本のいちばん長い日」という映画が降伏に関する争いを描いているよ。この映画はのちにリメイクされたと思う。

名無しさん@海外の反応

ほかの大勢と同じように、原爆が落とされた際に祖父が船で太平洋に向かう準備をしていた。トルーマン大統領の行動と状況への対処に感謝している。

名無しさん@海外の反応

もし戦争がさらに数年長びいて、アメリカが水爆を手に入れていたらどうなっていたのだろう…

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