戦後日本の薬物騒動(が終息するまで)
アジアのさまざまなトピックを紹介するユーチューブチャンネル「Asianometry」が投稿したこちらの動画では、日本の戦後に発生した薬物乱用をめぐる騒動について説明している。視聴者からは内容への補足、ほかの国との比較、現在の状況との関連性など様々なコメントが届いている。
出典:https://youtu.be/wWvKF_Y7u3I
動画の流れは大まかに以下の通り
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- 日本で初めてメタンフェタミン剤の合成が行われたのは19世紀末だが、当時はまだ一般的には知られていなかった
- 当初は咳止めとして使われていたが、戦時中のドイツ兵による使用方法の影響で精神刺激剤としての用途が広まった
- 戦時中に「ヒロポン」の名称で大衆薬として普及、同様の薬は軍でも様々な名称で使用された
- 戦後の厳しい生活の中、酒よりも安い価格で疲労回復できるという理由でヒロポンは普及、日系二世による取り締まりもあった
- 当時は恐ろしい副作用についてはあまり知られておらず、メディアは覚せい剤の良い面を取り上げていた
- その後、服用者の有名人の死や服用者による集団暴行で世論が動くが、法律は緩く、50年代初めまで広く使用されていた
- しかし、1954年の重度中毒者による殺人事件がセンセーショナルに取り上げられ、取り締まりが一気に加速
- その後は乱用の危険性を伝える啓発運動が幅広く行われ、朝鮮人が国を亡ぼす薬物を密輸しているとの話も広まった
- 60年代には「ヒロポン」騒動は終息したものの、若者によるほかの薬物の乱用は続いた
海外の反応
・名無しさん@海外の反応
「シャブ」って名前がどこから来たのかやっとわかった※。90年代に薬物中毒になった友人が何人かいた。行動も、性格も変わって体の機能にも影響があった。普通に戻るまでリハビリには何年もかかったよ。
(※動画内では日本での覚せい剤の俗称として紹介されていました)
・名無しさん@海外の反応
こんなにも古い歴史があるなんて知らなかった。前に第二次大戦中のドイツ軍での使用についてだけは資料を見たことがあったけど、このおかげで今書いてる本(歴史ホラー小説)の登場人物が行う実験のアイデアが広がりそう。
・名無しさん@海外の反応
「ヒロポン」って名前は「疲労」と「ポンッ」(吹き飛ばす)からきてるんだと思う。だから、「疲労ーポンッ!」
・名無しさん@海外の反応
現代の日本でも公共交通機関で寝てしまうほどの厳しい働き方が美化されていて職場にいることだけでも誇りだと考えられているからこういう薬物が深く根付いても不思議じゃない
・名無しさん@海外の反応
興味深い動画。素晴らしいリサーチ。
・名無しさん@海外の反応
たばこや酒による死亡を考慮しなかったら、メタンフェタミンは日本で唯一のドラッグ問題だったけど、その理由はかなり理解できる。12時間労働なんかが当たり前だと考えるのは東南アジアではありえない
・名無しさん@海外の反応
しっかりした内容。議論になりそうな話題だけど、よかった。政府が問題を生み出し、責任を政府以外に擦り付けた。
・名無しさん@海外の反応
すごい話!
・名無しさん@海外の反応
忘れ去られた歴史を投稿してくれてうれしい
・名無しさん@海外の反応
え、もしかしてだから今でも日本はADHD治療薬に対して厳しいのかな。
・名無しさん@海外の反応
米国と英国でも1940~50年代、さらにそれ以降にも刺激剤がパイロットの緊急用レーションに使われていた。きっとドイツもだと思う。兵士たちの「刺激」を保つ短期的な影響力は明らかだし、戦時中は長期的な影響については関係なかった。
・名無しさん@海外の反応
刺激剤といえば、日本のADHD患者に選択肢が増えてほしい。日本に治療薬を持ち込んだら、拘留されるだろう。たばこを持ち込んだら?ただ少し税金を払うだけだ。
・名無しさん@海外の反応
ちょっとやりすぎだった。ADHDに苦しむ人はまともな治療を受けられずオーストラリアからの観光客として薬を持ち歩くことさえできない。
・名無しさん@海外の反応
ほら、貧困との闘いや人に人生観を与えることなく、ドラッグとの闘いは無駄だって日本人はすでに知っていたんだ…それなのに世界中では「薬物戦争」により多くの金や命が無駄になっている。
・名無しさん@海外の反応
え、イエメンでメタンフェタミンの俗称は「Sha'bo」だよ!そしてこの名前はネガティブなイメージをなくすために適当につけたものだと思ってたけど、違ったのかもね