アステカの歴史家が描くメキシコにやってきた最初の日本人(1610)//チマルパインの年報//一次資料
各時代の国際交流の記録を日記や見聞録などから紹介しているVoices of the Pastというチャンネルが、今回取り上げたのは初めてメキシコにやってきた日本人の話。メキシコ側の歴史家の文章から、当時の日本人に関する記述を紹介している。
出典:https://youtu.be/KaCT-8ksheA
- 1610年12月、「中国」にある日本から19人ほどの日本人がメキシコにやってきた。日本の皇帝(※将軍)により、クリスチャンとの和平のために送られてきた使節だった。メキシコと日本の間で貿易をおこなうためにやってきた。
- 日本から使節を呼ぶきっかけとなったのは、「中国」のマニラで総督を務めていた人物が、メキシコ本国に戻る途中嵐のため日本に流れ着き、日本の「皇帝」の屋敷に滞在させてもらったという出来事。
- 日本からの使節の中にはクリスチャンもそうでない人もいた。飾りのついた羽織物を着て、柔らかい履物をはいていた。腰には刀を差し、長い髪を束ねていた。顔はひげがなく女性のよう。白っぽい・黄色っぽい顔をしていた。
- 1611年、2人の日本人がメキシコの教会で洗礼を受けた。洗礼を受けた日本人はスペイン人のような服を着せられた。17人が日本に帰り、3人はメキシコに残った。
- 1614年、再び日本からやってきた人々は、指導者の象徴なのか、槍のようなものを持っていた。これまでに20人ほどがやってきたが、使節は今後も送られるという。
- 2度目にアカプルコ湾に到着した日本人たちは、鉄や机などを売りにやってきた。船には日本人を連れに行ったスペイン人も乗っていたが、日本人との争いでけがをしたこともあった。
(要約)
海外の反応
・名無しさん@海外の反応
東洋の何もかもが「中国にある」だったのがいいねw
・名無しさん@海外の反応
かなり興味深かった。こんな早い段階で日本とスペイン帝国がかかわりを持っていたなんて知らなかった。アステカ人だけじゃなく、みんなこの出来事は書き記していただろうね。
・名無しさん@海外の反応
これは面白かった。こんなに早い時代に日本人がメキシコを訪れていたとは知らなかった。
・名無しさん@海外の反応
これは三重のメタ文化衝突だね。アステカ人が侵略者と外国人が交易する様子を記録するなんて。
・名無しさん@海外の反応
「中国にある日本」ちょっと待て、数年したら中国政府がこれを使って日本全体の権利を主張してくるぞw
・名無しさん@海外の反応
ラテンアメリカ人は古代から今に至るまで「china(中国)」をアジア全体をごちゃまぜに呼ぶ呼び方を使っているというのがいいね
・名無しさん@海外の反応
女性のような顔で、背はあまり高くなくひげがない。日本は変わってないなあ
・名無しさん@海外の反応
「中国にある日本の街」これが現実にならないことを願う
・名無しさん@海外の反応
アステカ人がメキシコに始めてきた日本人を記録してたなんて予想外
・名無しさん@海外の反応
「中国にある日本から」
うーん、惜しいね
・名無しさん@海外の反応
歴史上で最も大掛かりなクロスオーバーかも
・名無しさん@海外の反応
日本人についての記述がもっと聞きたい
・名無しさん@海外の反応
ヒスパニックの人たちがアジア各国のことや各国の人々を中国や中国人と呼ぶ習慣は何世紀たっても変わってないみたいだねw
・名無しさん@海外の反応
スペイン皇帝は当時のヨーロッパのほかの帝国と違って人々をキリスト教徒にすることにとても興味があったみたいだね
・名無しさん@海外の反応
アジアにある何もかもがかつて中国と呼ばれていたというのがいいね
・名無しさん@海外の反応
こんな歴史的な出会いは今までに聞いたことがなかった。カレンダーを見てエイプリルフールのジョークじゃないかチェックしちゃったよ!
・名無しさん@海外の反応
ほかの日本に対する記述は「興味深い文化を持っている」とか「日本の貴族はなんと壮大な富を持っているのか」とかなのにアステカ人は「女性に見えて、とても背が低い」だったのがいいね
・名無しさん@海外の反応
修士論文のためにこのチマルパインの年報を読んだのだけれど、かなり興味深かった!ここでその声が聞けてうれしいよ!
・名無しさん@海外の反応
これは信じられない。予想外だけど大歓迎だ
・名無しさん@海外の反応
メキシコの先住民が日本人男性の顔を「とても白い」と書いたのが興味深いね。中央メキシコの先住民と比べたんだろうね。