日本の反・子殺し運動
こちらの動画は、江戸時代の日本の一部地域で行われていた「間引き(生まれたばかりの赤ん坊を殺すこと)」という慣習を紹介した以前に投稿された動画の続きで、今度は逆に人口増加が伸び悩んでしまった江戸時代後半の状況について主に解説している。
出典:https://youtu.be/p1rbtXLsVwA
- 江戸時代の前半には増加していた日本の人口は、後半になって伸び悩み、村や町の規模が小さくなっていった。
- これを危ういと感じた高官たちは、間引きを禁止しようとした。
- しかし、間引きを行う親たちはモラルのある行動だと考え、赤ん坊を犬のように捨てたり売り飛ばしたりすることの方が非倫理的だと考えていた。
- そうした親たちを説得するために、間引きを行った人が恐ろしい目に遭ったという説話が書かれ、間引きをする人を化け物のように描いた絵が描かれた。
- 動物でさえ自分の子の面倒を見るのに自分の子を育てないのは動物以下だ、という議論もあれば、間引きをした親や間引きされた子供は来世に鬼に苦しめられるという仏教徒の議論もあった。こうした内容の張り紙などを村から村へと貼って回った。
- 各地独自の法律でも人口対策が行われ、結婚したときに報酬を与えるのが最も一般的で、新婚の夫婦には一定期間免税するところもあった。
- 当時は子供に関する出生や死亡の記録が義務づけられていたため、歴史家は状況を知ることができた。記録はほとんど事実に基づいて書かれていたが、中には不審な数の流産や死産も見つかっていて、これは間引きをごまかしたものだと考えられている。
- 子育てをする貧しい家に対して食料や金銭の支援もあり、ある歴史家は東日本の約10%の子供が政府の支援を受けていたと書いている。
- 時代がすすむにつれ、日本の高官たちは外国からの侵略に対抗するため、人口の増加を義務のように考えるようになった。江戸初期は平均2~3人だった子供の数は、後期には4~5人、明治には6人になった。
- 明治時代には人口が爆発的に増加し、間引きは過去の慣習であるかのように思われていたが、歴史家が詳しく調べたところ、実際は1900年代初頭まで間引きは行われていたように見えるという。
- 1949年に日本で中絶が合法化してからは、間引きの必要はなくなった。
海外の反応
・名無しさん@海外の反応
>動物でさえ子供の世話をする!
まるでウサギやハムスターに会ったことのないような話しぶりだ。
・名無しさん@海外の反応
インドでは同じようなことが今でも行われているけど、男子を優遇したため、男性が妻になる女性を見つけられなくて驚いた結果なんだ。それから女子を誘拐して売り始めた。人は歴史から学べないみたいだね。
・名無しさん@海外の反応
「赤ん坊を殺すのは考えてみたら罰当たりだろ」ーお坊さん
・名無しさん@海外の反応
よく言われるように、「生まれたときに殺されなければ、人生の後ほどに死ぬ可能性が高まる」。
・名無しさん@海外の反応
そして出生率が低いのは今の日本でさえかなり文化的によくある問題なんだ。かなり皮肉だ
・名無しさん@海外の反応
なんでこんなにも恐ろしい慣習が楽しそうな名前をしてるんだ?「マビキ」ってなんかボードゲームみたいな名前だ。
・名無しさん@海外の反応
前にも言ったけど、もう一度言う。現代の避妊薬にはとても感謝してる。
・名無しさん@海外の反応
素晴らしい動画だったけど、話がそれてごめん。貼り紙がどうのこうのって話で、識字率について疑問に思った。人々は読むことができたの?貼り紙で大衆に呼び掛けられるほど識字率が高かったの?これだけでも興味深い。
・名無しさん@海外の反応
うん、人間だもんね。たとえそれが「赤子殺しをやめろ」であってもあらゆる変化に反対する生き物だ
・名無しさん@海外の反応
こんな種類の議論であっても歴史は繰り返すというのが狂ってる…
・名無しさん@海外の反応
実は犬の方が優れた種なんだ。お犬様に頭を下げる
・名無しさん@海外の反応
こんなに進んだ文化が効果的な避妊の形式を思いついていないなんて驚いた。ローマ帝国にさえあったんだ。
・名無しさん@海外の反応
世界には新しい問題なんてないのかな。
・名無しさん@海外の反応
江戸時代の問題を繰り返してるみたいだ。問題は、赤ちゃんが死んでいるからじゃなくて、そもそも作られないからだってことだ。
・名無しさん@海外の反応
現代の中絶に関する議論みたいだ。
・名無しさん@海外の反応
これのおかげで鬼滅の刃の炭治郎が大家族なのがよく分かった。